APERUNZ NOTE

aperunz.labの備忘録。ビデオ撮影のこと、漫画のこと。

「お金の奴隷解放宣言」はお金の奴隷を解放するのだろうか?

あけましておめでとうございます。2017年初記事がこちらです。

キングコング西野さんのLINEブログが話題です。

 

lineblog.me

自分の周りでは賛成意見がほとんどだったので、自分も大きい枠組みでの奴隷解放自体は大賛成なのですがちょっと思うところがあり…

今年の目標どおり少し自分の意見を書きます。

 

論点整理:「お金の奴隷解放宣言」とは?

・23万部売れた西野さんの絵本『えんぴつ町のブペル』。価格は2000円です。

・小学生から「高くて買えない」というメッセージをもらった西野さんは、お金で行動を縛られる現状に疑問を感じ、この作品をネット上で無料公開します。

・お金でやり取りをするのではなく昔みたいに相互扶助が理想的、お金の奴隷から解放されようと宣言

・ただあくまでも西野さん個人に限った話であり、他のコンテンツ提供者に同じように迫るのは違うと念押し。またお金が対価で支払われるべきものもあると強調。

 

ブログを通して社会を変えたい‼みたいなギラギラした発想ではなく、「こうできたら世の中もっと良くなるのではないか?」という問題提起としての『お金の奴隷解放宣言』みたいですね。

 

前提:お金(貨幣)の奴隷とは?

この絵本が高くて買えない小学生のような、お金によって行動に制限がかかっている状態に対し、異論を唱えているわけですね。対価の選択肢が貨幣のみなのでリーチできない層がいるなら、無料公開にして各人がそれぞれ思う対価を支払う=お金の制約から解放される、といった意味合いの主張かと思われます。

 

疑問①:今回のような無料公開という方法はお金の制約の鎖を断ち切るのか?

自分が一番違和感を感じたのはこの部分です。

ネット上で無料公開されたコンテンツに対価を支払う方法というのは限られていて、ブログで言われていた「メシを奢る」「物々交換」なんて方法は直接コンタクトのとれる人でないと難しいし、「10万部売れるより1億人の人に知ってもらった方がいい」という文脈は、その直接コンタクトがとれる人を増やしたいという意味で捉えることもできるかと思います。知ってもらったという承認欲求の充足だけで生きていくことは困難でしょう。つまり「1億人に知ってもらう」という広告なのではないか、ということです。

 

今回無料公開に踏みきる前に、約23万人のお金という対価を選択した人がいます。その人たちの売上は、次の「お金から解放される人たちのための原資」になったのでしょうか?原資がなくても無料公開できたのでしょうか?

次の絵本を西野さんが最初から無料公開したとして…その製作に関わった人全員が生活できるぐらいのリターンは帰ってくるのでしょうか。

 

疑問②:そもそも私達は皆お金の奴隷として苦しんでいるのだろうか?

貨幣という概念が存在する前、物々交換で暮らしていた時代は私財の交換方法に悩まされたと聞きます。例えば海産物をメインの交換物にしていた人は大漁であってもそれに見合う収穫物をもった人とマッチングできなければ、財の価値は腐敗と共に消滅してしまう。畑作労働の対価がその収穫物であれば、収穫時期までタダ働きで餓えてしまう可能性がある。そこでマッチングの待機時間を解消する腐らない交換物の発明、それが貨幣でした。それこそ信用交換で成り立っている商行為の一部なわけです。

 

お金の奴隷の前には時間の奴隷だったわけですね。そもそも人間は生存欲求があり、安全な環境、充足な食糧を手にいれるために、奪い合い騙し合い信じ合い助け合ってきた歴史があります。人の行動を制限するものを「○○の奴隷」と揶揄するのであれば、人間はすべからく「存在欲求の奴隷」と言われるべきです。

「お金の奴隷からの解放」が素晴らしい言説に聞こえるのは、身近にいる拝金主義的な人物に対する反感、もしくは自分自身がお金で人生に制限がかかったことがあり歯痒い思いをしたことがあるからではないでしょうか。あるいはお金が誰かに独占されている実感から「お金=支配者」「お金の奴隷=私たち」という見え方もあるかもしれません。事実世界経済の格差は広がっているといわれています。

しかし実際に自分が持つお金じゃない財、価値を市場に出して生活に困らずにいれる人はどれぐらいいるのでしょう。

「お金の奴隷」という嫌な響きからは、その半面、働きの対価を全員が価値を信頼しているお金で払うという平等概念が導き出されるのです。

 

 

私的結論:ある程度売れてからの無料公開は、マーケティング/広告の文脈に回収されてしまい、「お金の奴隷」で苦しんでいる人を真の意味では解放しないのではないか。

 その意味では今回の騒動(賛否両論だったみたいです)に対して諸手を挙げて大賛成!とは言えないわけです…。実際に無料公開の前に購入した23万人、これから有料でコンテンツを売ろうとしている人なんかのことを考えると少しもんよりした気持ちになります。

 

蛇足的雑感:個人的には「お金の奴隷」から本当に解放されたいと思っている人は結構いると思っていて、例えば「自己実現のために転職したいけど家庭を養うために給料が下がると困る」とか「離婚したいけど子育てしながら生活していくためには社会保障と自分の稼ぎだけでは困難なので我慢している」とか「どうしても沢山の人に知ってもらいたい何かがあるけど、生産コストを考慮するとペイしないので生活していけない」など…

彼らが奴隷の鎖を断ち切るためには個々のケースに対応したアクションが必要でしょう。生活の保障だけで言うなら所得の再分配による福祉の充実、ベーシックインカムの導入などが挙がるかと思います。問題提起としての「お金の奴隷解放宣言」は多くの人にそういうボールを投げかけた、意味のある行動だと思います。

さて今回のように「コンテンツの無料化」は西野さんがこれから手にするはずだった利益を社会に無償で還元したように見えます。そこで「西野さんカッコいい、すごい」だけだと社会に還元した利益を受けとるのは出版社とコンテンツを消費したいライトユーザーのみになってしまいます。

奴隷の鎖を断ち切りたい人はどうやって断ち切るべきかを調べたり考えたりしてアウトプットしていった方がいいんじゃないかなと思います。あるいは実生活の中にお金を主軸にしないスタンスを取り入れるとか。その時に初めて「お金の奴隷解放宣言」が本当の意味で社会への問題提起になるのではないでしょうか。

2017年の僕はとりあえずそう思います。

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