APERUNZ NOTE

aperunz.labの備忘録。ビデオ撮影のこと、漫画のこと。

【漫画感想】「ちーちゃんはちょっと足りない」にみる大人と子供の境界、もしくは人間の弱さ

 阿部共実著「ちーちゃんはちょっと足りない」読みました。

 

 物語は中学生の女の子ナツが、同級生である千恵を一緒に登校するために迎えに行くところから始まります。

 

 千恵は言動が小学生低学年のようでかろうじて掛け算ができるぐらい。ナツは同じ団地のよしみで昔から千恵と友達です。そこに頭はいいが意地悪の旭が加わり、三人で騒がしく学校生活を送る、といった内容になっています。

  千恵の言動に振り回されながらも平凡な日常を送り、思春期特有の悩みを抱えつつもコメディとして話は進んでいきますが、ある日学校で集めたお金が紛失した事件をきっかけに三人の関係は少しずつ変わっていって…

 

みたいなあらすじです。

 

 1巻完結ながらもその中に詰め込まれた密度の濃い感情。またそれを漫画で表現する技巧。すごい揺さぶられて読みました。タイトルや1話目がわざとこうされているのであれば本当に作者の意図にまんまと引っかかったわけで、マジ脱帽です。

「このマンガがすごい2015」オンナ編1位の作品とのこと。納得しかないです。漫画読みにこそ読んでもらいたい一冊。

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▼以下ネタバレを含む感想

 

 

 

 バカで無邪気の千恵、普通の常識人のナツ、千恵をからかう旭という三人の構成は最近の日常系漫画のフォーマットに即しており、1、2話目のコメディタッチの描き方はそれこそ、ちょっとよくできた量産品っぽい内容となっています。(一時期劣化版よつばといっぱいでましたね…)

 

 しかしこの漫画のフォーカスは2話目の中盤から徐々にナツにあてられていきます。旭の「お前も千恵の陰に隠れてけっこういかついな」の発言にあるように、横に無邪気な幼児性の塊である千恵がいるのでぼやけていますが、ナツも全然子供なのです。

 

 中学生、まわりは少しずつ大人へと成長していく。彼氏がいること、成績、家の裕福さ。それらに対しナツは劣等感にかられ、まだ子供であることへのいらだちを募らせていきます。友達だと思っていた旭に恋人がいることが判明し、さらに成績でも差がついていることに対してナツは三人の関係性に疑問を持ち始めます。その日ナツは千恵と一緒にいる理由を、小さいころに「わたしのほしかった不思議の国のアリスの本をとってきてくれてからだ」と感じ、世界一美しい私たちの関係に思いをはせます。

 

 しかし実際にはアリスの本は善悪の区別がついていない千恵が友達から無理やり奪った本です。そこをナツは(おそらく)意図的に無視し、そのイノセントな部分だけを美しいものとして扱っています。そういう幼稚な感情の発露、ほしいものを感情のまま手に入れることに対して、ナツは嘲笑しながらもうらやましくおもうのです。

  一方で回りの成長していく同級生のように、大人の対応でふるまうこともできません。成長できない、うまく立ち回れない自分に対してもいらだちを覚えます。

 

 

 私たちは自分の欲望に対してうまく処理をすることを余儀なくされています。「手に入らないものは我慢する」「ストレスはうまく発散する」、これらは子供から大人になる過程で当然身につけなければならないものとされているし、実際ナツはそうできない自分に対して自問自答を繰り返します。そうして「できない自分」を、隣にいる千恵と比較することでごまかしているのです。醜悪でゆがんだ依存。しかし本人のは美しい私たちの友情です。

 中盤千恵は学校でお金を盗み、悪びれることなくナツと分け合おうとします。「ちょっと足りない」、悪いことの区別もつかない千恵のすることなのでもちろん千恵自身には罪悪感はありません。しかしナツはまだ子供である自分を言い訳にしてそのお金を受け取ってしまいます。

 

 学校でお金を盗んだ犯人が千恵だと判明した際に、一度かばった旭は大人として自分の非を認め、謝罪をしにいきます。その後関係の悪かったグループとも和解をし友達になれるのですが、これは「非を認める」という苦痛を伴う儀式を経ることによって得られた成果なのです。逃げなかったゆえに大人としての対価を得ることになったわけなんです。

  しかしナツはそこから逃げ続けます。大人になりたいけどなれない、自己の欲求をわがままに他人にぶつけたいのにできない。他人と比較して逃げ続けるのです。

 

 ラストの話、いなくなった千恵を探すナツは、まるで美しい自分たちの友情のために知恵を探し続けます。妹を探す千恵の姉の子供じみた仕草などを目にしながらもやはり依然として自己のモラトリアムには目を向けず、千恵を探し続けます。自問自答をくりかえしながら。歪んだ自己保身のために自己を責め続けながら。

 

 物語のラスト、千恵を見つけナツは安堵します。千恵は一人で電車に乗れるぐらい「成長」をしました。千恵の成長物語としてはハッピーエンドで終わります。

 しかしナツにとっては?自分より「ちょっと足りない」千恵を見つけて、安堵をして終わり。これはハッピーエンドでしょうか?友情を模した防衛のための付き合いを、変わり続けていく千恵と続けていくのでしょうか?

 ここがまったく解決しないまま物語は終わりをむかえます。そこから先は読者の想像です。しかしそこにこそ作者の残した本当の意図があるのでは、と思います。

 

 しばらくは読後感に浸り、そこから自分と照らし合わせ、やがて不安に駆られ、その後ブログに感想を書くこととなりました。

 何よりも前半既存の萌え文脈(※この言い方では過不足だと思いますが、昨今の日常漫画のパロディとしての文脈)を後半のドラマに持っていく展開。その中に散らばっている定型の成長物語。対比としてのナツの歪んだ、それでいて誰しもが抱いている心情の告白。本当にすごい漫画だと思いました。